患者さんの物語

北條さんの物語 ~オペラ歌手が乗り越えたがん治療の大舞台~

術中温熱化学療法HIPECで「取りきれた」大腸がん 腹膜播種

北條さん(仮名)は、ドイツで活躍するオペラ歌手でした。その歌声は多くの人を魅了し、彼女自身も音楽と共に生きる日々に充実感を感じていました。しかし、ある日、体調の不調から検査を受けた結果、「大腸がん(上行結腸がん)」と診断され、人生は大きく変わります。

ドイツで行われた手術は成功し、がんはすべて取り除かれました。しかし、ステージⅢという進行度であったため、術後の補助化学療法が実施されました。彼女は治療を乗り越え、再び歌声を取り戻す未来を信じていました。

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再発と帰国

しかし、手術から1年後、北條さんは再発の現実に直面します。今度は腹膜播種と手術創部の皮下転移という形でした。この知らせを受け、彼女は「もう一度治療に全力を尽くそう」と日本への帰国を決意しました。

抗がん剤治療が効果を示す中、北條さんはさらなる根治を目指し、自ら治療法を調べ始めます。そして、「腹膜播種センターの米村豊先生による治療を受けたい」と希望しました。予約は先まで埋まっていましたが、懸命な努力の末、受診が叶いました。

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過酷な治療――CRS+HIPEC

北條さんが選んだのは、「CRS+HIPEC」と呼ばれる治療法でした。

CRS(減量手術)

肉眼で見える腫瘍をすべて切除する手術。

HIPEC(術中温熱化学療法)

手術後、43度に温めた抗がん剤を腹腔内に循環させる治療。

HIPECは、手術で傷だらけになったお腹を高温の抗がん剤で満たす過酷な治療です。そのため、体力が治療成功の鍵となります。

米村先生に画像をもって相談に行った時に、「患者さんの『活き』はいいの?」という不思議な質問がありました。その真意がこの時わかりましたと岡田医師は語ります。体力がこの治療で生き延びるために重要だということなのです

治療のために送り出してから2か月後。北條さんは「治療は大変だった」と語りながらも、笑顔で戻ってきました。その姿は、彼女の体力と精神力の強さを物語っていました。そして、この治療の結果、彼女は「残存病変0」を達成しました。

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再び歌声を取り戻して

治療の成果でがんは消失し、北條さんは再びオペラ歌手としての道を歩み始めます。手術で弱くなった腹筋を鍛え直し、美しい歌声が戻ってきました。彼女の舞台には、観客だけでなく、自身を支えてくれた医療チームへの感謝の思いも込められていました。

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その後の再発と早期発見

治療の後、一度だけ部分的な再発がありましたが、そこも手術で完全に切除されました。さらに、定期的な検査のおかげで新たに発見された胃がんも早期手術が可能となり、事なきを得ました。

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5年後、迎えた「根治」の舞台

がんの再発から5年が経過し、北條さんは「残存病変0」の状態を維持しています。彼女の物語は、がん治療が厳しい過程であっても希望を失わなければ道が開けることを示しています。

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医師たちの喜びと北條さんの歌声

医師たちにとって、北條さんの回復は特別な意味を持っていました。厳しい治療を乗り越えた彼女の歌声が再び響いた時、その音色はただの歌ではなく、命の尊さと希望の象徴となっていました。

北條さんは今も、オペラの舞台で観客を魅了し続けています。その姿は、がん治療と闘うすべての人々に勇気を与える存在となっています。



桜井さんの物語:膵臓がんとの戦い、そして奇跡の1年

「桜井さん、お入りください」。

診察室に通され、ゆっくりと椅子に腰を下ろした桜井さん。その顔は険しく、どこか疲れ切っているように見えました。

彼女が抱えている病気の重さを考えれば、それも当然でした。膵臓がんという診断。そして、日本有数のがん専門病院では「手術はできない」と告げられ、抗がん剤治療しかないと言われていました。

家に帰り、桜井さんはネットで「切除不能膵臓がん」を調べました。そこに出てきた数字は「1年生存率9.5%」。その冷たく厳しい現実が、彼女の心に重くのしかかっていました。

数カ月前のこと、胸の中央あたりの痛みを感じ、クリニックで診察を受けました。そこで逆流性食道炎と診断され、一旦は痛みも和らいだのです。しかしその後、痛みは次第に強くなり、再度検査を受けた結果、膵臓に腫瘍があることが判明。すでに病状は進行しており、後悔や不安が桜井さんの胸を締めつけていました。

そして、今日は藁をもすがる思いで岡田医師を受診しました

ここから彼女の人生は大きく変わっていきます。

桜井さんの膵臓がんは、腸を養う重要な血管の周りに広がっていました。この血管を傷つけずに腫瘍を切り取ることは不可能で、手術は選択肢から外れていました。それでも、彼女のがんはまだ転移しておらず、「局所進行膵臓がん」という状態でした。

「この部分だけを治療できれば、治るかもしれない。その治療は。。。」岡田医師のつぶやきに、桜井さんは新たな選択肢を知ります。「重粒子線治療」。それは希望の光が見えた瞬間でした。治療方針の説明とに、彼女の顔には少しずつ明るさが戻り、目にも希望の光が宿っていきました。そして、彼女の挑戦が始まったのです。

重粒子線治療の専門病院で重粒子線治療と抗がん剤ジェムザール(ゲムシタビン)を併用する治療が開始されました。治療は順調に進み、腫瘍マーカー(CA19-9)は大きく下がり始めました。重粒子線治療を終え、久しぶりに診察室に戻って来た桜井さんはかつての緊張や不安を忘れたかのように、満面の笑顔を見せるようになっていました。

しかし、がんは一筋縄ではいきません。重粒子線治療が終わってからわずか2カ月で肝臓に転移が発覚しました。数は7つ、サイズは最大16mm。桜井さんと岡田医師は、再び厳しい現実に直面しました。

それでも桜井さんも岡田医師も諦めませんでした。「次に何ができるか」。その二人の思いが彼女の心を支えました。そして治療は新たな段階へ進みます。

全身化学療法、肝動注化学療法、ラジオ波焼灼療法──それぞれの治療を受けるたびに、桜井さんは副作用を克服しながら、遠方の病院に通い、前向きな気持ちを失うことなく挑戦を続けました。

その結果、1年後の検査で転移はすべて消失していました。腫瘍マーカーも正常値に近い数値となり、桜井さんの体からがんは完全に姿を消しました。

1年前、わずか1年生存率9.5%という数字を前に絶望していた桜井さんは自らの信念と治療チームの力を信じて挑戦を続けました。その結果、「治らない」と言われた病気を克服し、奇跡とも言える結末を手にしたのです。

桜井さんの物語は、がんという難敵との戦いの中で、信じる力と挑戦する心がどれほど大切かを私たちに教えてくれます。そして、その先には、新たな希望が待っているのです。